「骨格からカンガルーをカンガエルー」こやたの見たり聞いたり<第37回>月刊浅草ウェブ

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動物を解体し、標本にしている若い女性がいる。

初対面でこんな質問は失礼だろうなと自覚しつつ、「解体作業は辛くないんですか?」と聞いてみた。彼女は即答で「学術的興味が勝つんです」と答えた。「勝つ」という言葉から推測されるのは、自分の中で負けさせた感情があるということだ。
大型動物も運び込まれるというから体力もいるだろうし、過酷な臭気もあるだろう。季節によっては腐敗と闘わなくてはならない。何よりも、相手が死んだ動物だとしても生きていたものに刃物を入れるという行為は、精神的に大きな負担がかかることだろう。
「学術的興味が勝つ」という言葉を聞いて、本気の研究者だなと思った。
今回ご紹介するのは、現在東京大学大学院、及び東京大学総合研究博物館の遺体科学研究室に所属し、カンガルーを機能形態学という学問分野から研究する修士課程2年生の中川梨花さんである。

筆者は、子どもの頃から動物(特に大型の草食動物)が大好きだった。
一緒に動物園に行ってくれるような友達が欲しいなと思い、友人に「大型の草食動物の研究をしていて、私と友達になってくれそうな人はいないかな?」と聞いてみたら、中川さんを紹介してくれたという次第。連絡したら、快くお会いしてくれることになり、しかも一緒に上野動物園に行って、カンガルーを見ながらお話してくれるという。とんとん拍子に私の願いが叶った。
事前に「中川さんが所属する遺体科学研究室では、亡くなった動物を解体して標本を作ったり分析したりしている」と聞いていたので、さぞかし筋肉質な、豪快な女性が現れるかと少しドキドキしていたが、すごく可愛らしい女性が現れたので本当に驚いた。

中川さんは、小さい頃から動物が大好きで、町の獣医さんになりたいと考えていた。
小学六年生の時に国立科学博物館の「大哺乳類展」を見て、動物の進化や多様な動物の形の面白さに魅了された。以降、将来は犬や猫だけでなく、もっと幅広い動物を保護したり、治療したりする動物園の獣医さんになりたいと考えるようになり、大学は日本大学生物資源科学部獣医学科に進学した。
けれど、獣医学部で扱う動物はペットとして身近な犬猫や家畜動物が多く、多種多様な哺乳類を扱う機会はほとんどなかった。もっと多様な動物について知りたいと思い、東京大学大学院に進学することにしたそうだ。

中川さんが所属する遠藤秀紀教授率いる「遺体科学研究室」では、動物の死体を「遺体」と呼ぶ。
動物に感謝するとともに、その動物を愛する人々の心に寄り添っている。遺体科学研究室は、動物園から動物が死んだという一報が入ると、全ての予定を変更して、1分1秒を争いながら現場に急行する。迅速さが何よりも重要だ。
冷凍庫を経由せずに処理することが多い。動物遺体の筋肉や皮を取り除き、骨にする作業が行われる。最近では、キリンやゾウ、ウマ、ネズミなどを解体したという。彼らの原動力は、貴重な動物の遺体を未来に繋げる、その一心である。動物遺体には、その動物が現在の形態へ進化する過程の無限の「知」が詰まっている。

 本来の中川さんの研究対象はカンガルーだが、他の動物も解体することで、「動物のここの部分ってこんなふうになっているんだ!」と日々発見があるそうだ。
他種と比較することで、カンガルーの特異性を見出すこともある。先日提出した修士論文ではカンガルーの背骨に着目した。首から腰までの(尻尾以外の)背骨を対象に、背中のどの部分をどう動かすのか、どうやって背中の骨や筋肉が動いてそれが全体の動きに影響しているのかを分析した。他の動物、例えばウシ、ウマ、チーターと比較検証して、カンガルー特有の骨格を観察した。

 「カンガルーの魅力ってなんですか?」と聞いてみたら、「シルエットが本当に美しいですよね。誰がみても一目でカンガルーだと分かるような唯一無二な形がすごく美しいと思います。ほとんどオーストラリアでしかみられない有袋類というのも興味深いし、尻尾も太くて長いので、股関節が支点となって歩行や直立の助けになっていたり…」と、笑顔で魅力を語ってくれた。

2025年1月27日を以て上野動物園からカンガルーがいなくなってしまった。浜松市動物園に移動になったそうだ。また再びカンガルーを身近で見られることを願っている。

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