「喜劇やろうと思うな、喜劇を! 死劇やれ! 死劇を!」
NHK番組「さよなら常盤座 浅草芸能グラフィティー」(1991年8月1日放映)のなかで、財津一郎が在りし日のエノケンこと榎本健一の思い出として、こんなことを言われたと語る。
菊田一夫作『浅草交響楽』(1969年初演)の劇中劇にて、エノケンの盟友であり戦場で若くして死んだ劇作家・菊谷栄の『最後の伝令』(1931年初演)のトム役を財津が担当したが、エノケンは財津によるトムの死に際の演技に納得せず、自ら手本を演じ舞台の床にバーンっと胸打って倒れた後、床から財津を睨みつけて絶叫したと言う。
どうも別の文献を確認すると、大悲劇として演じよと言ったようでもあり、この「死劇」なるショッキングな言葉は財津の後年の誇張かもしれないが、しかし彼がエノケンの言葉から、死に近しい何かを感じたことは確かだろう。
浅草と死——そういう連想は、小さい頃、親に連れられて見た能『隅田川』の印象からかもしれない。
人買いに我が子をさらわれ狂乱したシテの女性がその子の死を知る場所こそ、この河川である。
今の浅草からは想像し難い殺伐とした雰囲気——いや、落語『粗忽長屋』冒頭で行き倒れの死体が上がるのも浅草寺付近だ。
そして確かに、フランス座から敗戦後を代表する喜劇人となった渥美清の映画で、僕にとって一番印象深いのは『散歩する霊柩車』(1964年)での冷たい霊柩車運転手役だし、渥美と一時期をフランス座で過ごした劇作家・井上ひさしにしても、『父と暮らせば』など幽霊ものも多く、『ひょっこりひょうたん島』なんて実は全員死んでる説が噂されている。
浅草の「死劇」の伝統——エノケンの脳裡には菊谷の死体が、さらに彼が殺し殺された戦場があったろう。それがどうも気にかかる。