彫刻家・朝倉文夫の2つの拠点〜東京と大分を訪問して〜こやたの見たり聞いたり<第31回>月刊浅草ウェブ

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彫刻とは不思議な芸術だなとつくづく思う。

立体が故に、作品単体に留まらず、空間全体に大きな影響を与える。設置される場所、光の加減、視る角度といった様々な要素によって異なる表情を見せる。時には、街のシンボルとして待ち合わせの場所となって人と人とを繋ぐコミュニケーションの拠点となる。時には、空間の雰囲気が和らいだり、逆に緊張感を与えて非日常の刺激的な空間を演出したりもする。

 さて、そんな興味深い彫刻の世界だが、皆さんは彫刻家・朝倉文夫をご存知だろうか。早稲田大学の構内に設置されているガウンに角帽を着用した大隈重信像を制作した人物であると言えば、即座に「あぁ、あの像か!」と頭に浮かぶ人は多いだろう。

朝倉は、現在の大分県豊後大野市に生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)に進学し、在学中から頭角を現していた。卒業後は、台東区谷中にアトリエ兼自宅(現・朝倉彫塑館)を建設し、多くの傑作を生み出すと同時に、学費が払えない苦学生たちの学び場としてもアトリエを解放した。官展にも積極的に出展して数々の賞を受賞し、彫刻家で初めて文化勲章を受章した人物だ。

朝倉作品の特徴は、その写実性だ。猿のような人間のリアルな姿、首根っこを掴まれた猫のしなやかな体つき、立って将棋の対戦を眺める墓守の老人…。
その観察眼や高い技術力によって生み出された作品は、時間をも切り取ったかのような、人柄や人生さえも写しとったかのような、凄まじい臨場感がある。
著書の中で「形が似ないでその人の性格が現れているなどという事は、あり得ない」と述べる。朝倉の時代は、一般に「肖像制作は真の芸術に値しない」という価値観があった。朝倉はそういった「伝統」に対して「(吾々の祖先の芸術家はあまりに概念的で)物の形象に関する研究が足りなかった」と持論を述べ、「自然を師とすること」を実践することで独自の彫刻の世界を切り開いた。

《猫(吊された猫)》(朝倉文夫記念館蔵)

《墓守》(朝倉文夫記念館蔵)

《進化》(朝倉文夫記念館蔵)

次に、朝倉文夫の2つの拠点を紹介しよう。

【拠点①】朝倉(あさくら)彫塑(ちょうそ)(かん)(台東区谷中7-18-10)

 一つ目は、朝倉が多くの作品を制作したアトリエ兼自宅だった朝倉彫塑館である。朝倉自らが設計・作庭しており、隅々までこだわりの詰まった建物はそれ全体が朝倉作品と言える。アトリエは制作台を電動で上下させる昇降機を設置したために鉄筋コンクリート造、住居部分は木造である。水と石と樹木の見事な調和で、四季折々の美しい自然を鑑賞できる庭園は建物の真ん中に位置し、四方から鑑賞できる。屋上には菜園があり、豊かな自然を感じることができる。芸術家として、人間として、「自然の中に生きる」ことを好んだのだろう。裏手には谷中墓地があり、「ああ、代表作《墓守》の老人はここらへんにいたのか」と思いを馳せることができる。

【拠点②】朝倉文夫記念館(大分県豊後大野市朝地町池田1587-11)

 二つ目は、朝倉生誕の地・大分県豊後大野市にある朝倉文夫記念館である。
本館は朝倉本人が晩年に、自身の作風に大きな影響を与えたふるさとの自然の中に作品を展示・保存するために、私財を投じて朝倉文夫記念館と公園の建設を計画したものである。なんといってもその立地に驚く。山々に囲まれ、水資源も豊かな大自然の中にある。朝倉の感性の素地や、自然に抗わずそのままを捉える大きな視点はこういう大自然の中で育ったのだろうと納得する。

館内には、大きなガラス窓があり、そんな大自然をバックに、朝倉の作品の数々を鑑賞することができる贅沢な芸術鑑賞空間である。車がないと不便だが、大分県に行く機会がある方、朝倉ファンの方々はぜひ足を運び、圧倒的な自然美、そして自然の中に置かれた朝倉作品を眺めてみてほしい。都会とは一味も二味も違った眺めが広がっている。

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