吉原あれこれ<第2回>野一色幹夫(のいしきみきお)|月刊浅草ウェブ

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―さて、戦後になると、女性解放で〝籠(かご)の鳥〟の悲哀もなく、明るい赤線吉原となり、〝自由女郎〟—いや、特飲店の接客婦がキャア、キャア、客を呼ぶようになった。哀愁がひとつの情緒となったそのかみの、吉原のムードは一変した。悲哀のかわりにバイタリティ、情緒のかわりにアホらしくもユーモラスなエピソードのかずかず…、思いようによっては、やはり吉原は〝おもしろいところ〟であった。

夜中に隣室で「入らない!エイッ!またダメか…」なンて声がするので、ついに、気になってこっちもダメ。翌朝、その女に会って聞いたら、パチンコの夢を見ていたネゴトだった…なンて笑い話もやたらにあるが、残念ながら次の機会にゆずる。しかし、こういう野郎どもの〝バカばなし〟も、近ごろはあまり聞けなくなったのは、なんとも淋しい。

いまでもそうだが、吉原周辺には隠れたウマイもの屋、庶民的なアナ場というものもかなりある。竜泉寺町の、お酉(とり)さまで有名な鷲(おおとり)神社ならびの〝よりいや〟という大衆酒場兼食堂は、戦前からタクシーの運ちゃんの溜り場で安くて、しかもラーメンにユズの皮をそいで香りを添えたりする気のきいたサービスをする、ありがたい店。若いころ、吉原の往きにカキなべで一パイ、帰りにレバカツでメシを食って精力を補給したり…いまでも、ときどきお世話になる。丸ドジョウのナベをつつきながら泡盛なぞをチビチビやりながら、運ちゃんたちの雑談を耳にするのも楽しい。

また、ソバが食いたければ、やはり、すぐ近くに〝角万〟という手打ちソバ屋があって、しかも普通料金。ここの手打ちウドンも本格的でウマイ。少し足をのばして花川戸へ行くと、〝寿司常〟という安心でウマイ寿司屋が隠れている。ここの〝焼きアナゴ〟のニギリは天下一品…。アナ場は、まだまだたくさんあるが、吉原帰りだと、また一段と味も思いも違ったものだ。

「史跡としてでも、吉原を残しておきたい…」と老人はいうが、ボクはもう一歩進めて前向きに、庶民が安く楽しめる娯楽センターとして復興できないものかと考える。なんとしても、このままでは惜しい。

〈次回へつづく〉

(昭和45年5月号掲載)

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