浅草誌半世紀・名随筆の足跡<6回・真鍋元之「観音経とカレーライス」>|月刊浅草ウェブ

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知合いの出版社を出ると、その足で上野の広小路へまわっていった。久しぶりに鈴本か、本牧亭のどちらでもいい、のぞいてみるつもりだった。が、合憎なことに鈴本は開場までに、まだ一時間もあり、本牧亭はその日、休席である。仕方がないので地下鉄の駅へひき返し、どこへ行くとも決めずに乗った電車を終点で降りてみると、そこは浅草であった。

と、こんなふうに書いたのでは、何の変哲もないようなものの、じつは、その日、その出版社を訪れたのは、書き下ろしにいって、社長と面談のためであった。お願いしたいことがあるから、お序手のとき立ち寄ってくれという、社長からの連絡だったので、その日行って会ってみると、社長の希望というのが、なんと『観音経』を現代人向きに解説してもらえないか、とのことである。
わたしなど、仏典についてはなんの智識もないからいったんは辞退したものの、『観音経』というものがわたしにとり、どんな意味で面白いか。そういうテーマでなら一冊ぐらいは書けるだろうと思い、そう答えると、それではお願いしますと社長が言い、そんな話し合いがあったあとでの地下鉄であり、浅草だったのである。

思いがけなく、『観音経』と深い交渉を持つことになった身が、じぶんでも気がつかぬうちに浅草へ行き、仁王門をくぐっていたのを、意識以下の連想作用に結びつけて理解することは、たやすい。しかし、そんなふうには考えずに、縁あって、われともなく観音菩薩に招きよせられた、と思ったほうが、なんとやら話が奥床しそうだから、いまはこの考えのほうに、従っておくことにする。

本堂の階段を外陣へふみのぼって行って、びっくりした。賽銭箱のまえに群れている参詣者のなかに、拍手を打っている男がいたからである。世の中のことすべて出鱈目になっているとは知っていながら、明治神宮と浅草寺をごっちゃにする男がいることは、想像もしていなかったので、これは面喰ったが、本地垂述とやらの説が、平安の昔からこの国にはあったのであってみれば、拍手も合掌も、本来は同一のものと考えて差し支えないのかもわからない。こういう理解の仕方、どんなもんでしょうかね、浅草寺貫主、清水谷恭順氏……。
それはさておき、完成間近い五重塔を仰いで、境内を漫歩しながら、つよく蘇ってくるひとつの思い出がわたしにはあった。

満州事変はすでに始まっていたといえ、まだまだ暢気であった昭和十年代のはじめ。結婚してまもなくわたしと女房は、毎日の家計費やお小遣いのうち、おツりにもらう一銭銅貨を、なんということもなく、陶器製の貯金箱へほうりこんでいた。そして大晦日の夕方、その貯金箱を砕いてみると、総金額十円何十銭かになっている。
どうだ。この銭で浅草へ行き、うまいものを喰おうじゃないか、ということになって世田谷の奥から浅草へむかったが、一銭銅貨ばかりで十円以上となると、上着のポケットにはいり切らない。左右ともポケットが、銅貨の重みで下へ垂れさがってしまうので、仕方なくハンカチへ包み直し、手に提げることにした。
さて浅草へ行き着き、天どん、おしるこ、カレーライス、喰いたいものを何でも、といったところで、そんなに喰えるものではない。超満腹の腹で喫茶店へはいると、飛びきり上等のコーヒー一杯、せいぜいが五銭十銭という時代である。若夫婦二人がかりで、十円何十銭を消費しきるには、夜が明けきってしまうまでの十時間あまり、必死懸命の獅子奮迅を強いねばならなかった。

【作家・真鍋元之~昭和49年2月号掲載~】

※作品の無断使用を固く禁じます。

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