野八の自慢は、何といっても他に類を見ないネタの豊富さ。磨き上げられたガラスケースには、実に多種多様な魚介類がきらきらと輝いています。仕入れ先は主に築地ですが、修業時代に縁のあった北海道からの仕入れも多く、豊かな北の幸も目玉のひとつです。
「江戸前のネタといっても、近年では漁師も漁獲量も大幅に減り、入手困難。例えば蝦蛄は羽田沖なんていうけど、今は殆ど無いんです。だからうちでは良質な北海道産の殻付きを仕入れて、お客様の目の前で剥くんですよ。」
そういった柔軟な対応でより多くのネタを揃え、お客様に選ぶ楽しみを提供すると同時に、江戸前寿司の伝統は〆る・煮る・漬け込む、といった職人仕事で示し、伝えてゆくのが信条なのだそうです。
味は勿論のこと、同じ位こだわっているのは、お客様とのコミュニケーション。ただお腹を満たして帰るだけなら、回転寿司と一緒。個人店だからこそ出来るきめ細かなサービスや心の交流を、とても大切にしています。
「ここに来ると気持ちがいいとか、お前たちと話すのが楽しみでまた来たよ、なんて言葉が一番嬉しい。お客様にとって、居心地のいい店でありたいんです。」と、目を細める池野さん。カウンター越しのキャッチボールはやがて居合わせたお客様同士にも広がり、笑顔を交わし、言葉を交わす中から学ぶことは、何にも優る宝物。マニュアル一辺倒のチェーン店では決して得られないものです。そういった目に見えない付加価値も含めた食文化こそ、良店の担う重要な役割なのですね。
野八の二代目は、父と同じ勘八で修業を積んだ確かな腕を持つ、次男の弘礼さん。弘礼さんとお客様との“寿司は、どこまで小さく握れるのか?”という何気ない遊び心から生まれた「一粒寿司」は、なんと一粒のお米の上に丁寧に細工を施したネタを乗せ、通常の300分の1サイズに握った、芸術的なミニチュア寿司。口コミでじわじわと評判が広がり、今やマスコミにも頻繁に取り上げられるほどの人気ぶりです。でもこれは、あくまでも無料のサービス。時間的な余裕のある時に、ご要望に応えてお出しするお楽しみメニューです。父・昌二さんの背中から学んだおもてなしの精神は、こうした新しい取り組みも交えつつ、二代目にしっかりと受け継がれているようです。
この季節のお勧めは、フグ、ノドグロ、甘エビ、ボタンエビ、コハダ、マイワシなど。そして野八の一押しは、日本酒に梅干し等を加えて煮詰めた伝統の調味料「煎り酒」で頂く北海道直送の貝類です。どうぞ楽しい会話とともに極上の江戸前寿司をご堪能下さい。
昼間、取材に応じて下さった時の池野さんの優しい笑顔は、夜、再び店を訪れた際には、きりりとした大将の顔に変わっていました。
(「月刊浅草」編集人 高橋まい子)
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