第2回「田中憲治(たなかけんじ)~画家・画工~」
今回は本誌「月刊浅草」の巻頭連載『あさくさ つれづれの記』の筆者としてもお馴染み、田中憲治(けんじ)さんです。
バラエティに富んだ話題と綿密な取材、ユーモアあふれる独特な語り口の文章に多くのファンを持つ田中さんですが、文筆業は、いわば楽しみの一つ。本業は精密画、シャッター画、手描き地図、イラスト等を幅広く手掛ける画家・画工なのです。
どんな絵を描いているの?観てみたい!と思った方…浅草に一度でも来たことがあるなら、必ずどこかで作品にお目にかかっているはず。商店等のシャッター、各種看板、国際通りのサインポール、キャラクター、エリアマップ…。まるで、街全体が“田中憲治美術館”。浅草にとって、なくてはならない人なのです。
昭和15年、福井県生まれ。幼い頃から絵が大好きで、画業に憧れ15歳で上京。浅草橋の親戚宅へ身を寄せたのち、浅草の美術印刷会社に画工(今でいうイラストレーター兼グラフィックデザイナー)見習として就職しました。これが、浅草との運命の出逢い。その後長い紆余曲折を経て、最終的に活動拠点を浅草に定めたのも、この頃の様々な経験と思い出があったからこそなのでしょう。
入社後10年で独立したものの、絵筆一本で食べてゆくことの厳しさ、怖さを痛感する日々。家族を養い生きてゆかんがため、出来ることは何でもしました。芸術と生活の間で悩み、揺れ動き、風見鶏になりながらも。
「でもね、若い激動の時代に出逢った人々、仕事、価値観…それらが全部、今に繋がっているから。色々場数踏んできたよ、良いことばっかりじゃない(笑)。けど、今は全て…懐かしいな。」