「お酒を飲みにいっても、喫茶店にいっても、勘定は先輩が払ってくれた。また浅草六区の興行街は、先輩と一緒に行くと、どこでも木戸御免だった。毎日、毎晩が愉しくてしかたがなかった。」「ある時先輩から『……吉村クンは、吉原へ行ったことがあるかい?』と質問され、虚勢を張って『ええ』と答えたら、…ほォ、そリャア素質あるな。キミが尊敬している菊谷さんは、脚本を書くときは、吉原の馴染みの女郎屋に流連して仕事するんだぜ」と聞かされた。……これを聞いて、菊谷先生への敬慕の念が、いっそう深まったというから、いかにも吉村先生らしい。
吉村先生が、めでたく文芸部見習になった同じ年、昭和11年に撮影された夢のワンシ ーンのような『雪の六区』(警視庁カメラマン石川光陽氏)と題する写真があるので、お目にかけたい。(写真参照)
光陽氏が、週刊朝日連載に当って、現場確認のため『東京市内電話帳』(昭和十二年)と『大東京案内』(地人社・昭和六年)を、お貸ししたご縁で、直接光陽氏より頂戴した内の一枚である。撮影者のコメントに「この年は大雪の年で、このあと二・二六事件の日も、東京は雪景色となりました。」とある。
(稲川實, 2016年)
※掲載写真の無断使用を固く禁じます。