東京に4年ぶりの大雪が降った2日後、私は28年目を迎えた沖縄へと旅立った。20センチを越える積雪があった為、まだ道の端には雪が残っており、天候も不順なので予定通り飛行機が飛ぶだろうか、と内心ヒヤヒヤしながら家を後にしたのだが、案に相違して何事も無かったかの様に、事が進んだのである。
平成3年の春、師の知人を頼って初めてこの地に足を入れ、以来毎年欠かさず通って、何処かで小さな朗読公演を重ねながら、振り返って見れば28年と云う歳月が流れていた。芸能の島と言われるこの沖縄ではあっても、舞台朗読と云う分野だけは無かったのである。それ故、島の人々には異文化でもあり、更に新鮮に写ったのであろう。勉強してみたいと云う声が少しづつあがり、2年後には「可否の会」沖縄教室が産ぶ声をあげ、師の沖縄通いは今でも続いている。お陰で少しづつ根を張り、人材も育っているので頼もしい限りだが、師も私も喜寿を迎える年齢になっており、この先何年こうして島通いが出来るかは、それこそ解らない。次の担い手を全力で育てておかないと……と言う焦りは正直否めない。
今年も那覇市立古蔵小学校の公演からスタートした。驚くことに12年連続声を掛けて頂き、その間6人の校長先生と出逢っている。国語教育の一端として組み込まれ、学校行事のひとつとして位置づけされている。
島内各地の小・中・高等学校へは、随分足を運んでいるが、同一校に12年連続と云うのは肴有である。生徒数800名を越える市内でも有数のマンモス校ではあるが、低・高、それぞれ一時間づつ体育館での鑑賞授業は、私語一切無しと云う立派な態度で望んでくれるのである。
会場にテレビクルーが待機していた。
琉球朝日放送の報道スタッフで、低学年の部を納めたいと云う。これも12年目と云うご褒美と受け止めた。
今回題材として持ち込んだのは、古田足日著「おしいれのぼうけん」と云う人気の絵本である。唯、絵は一切見せない事にしている。それぞれの脳裏にそれぞれの絵を描いて欲しいから……。30分弱の時間を要し、残りの時間で子供達から感想を聞く事にした。たった今聞いたばかりの物語の感想を、それは素直に見事に表現してくれたのである。この模様は夕方6時30分からのニュースの後半で披露され、偶然ご覧になった沢山の方々から嬉しいメールが入っていた。
この時、私は奥武山「沖宮」の神殿で、正に出番を待っていたのである。6月の武道館「大琉球神楽」の舞台に立たせて頂いてはいるが、ご神殿での公演は今回が初となる。島唄の名手、島幸子さんも駆け付け耳を傾けて下さった。
那覇市立壷屋小学校へは、今回初めてお邪魔したが、古蔵小とは対象的に全校生徒250名と云う、何んとも可愛いい学校だった。戦後、復興を目指す指針の中で、逸速く取り掛かったのが小学校の建設だった。壷屋小はその先掛けとも言える存在で、一時は3000名近い児童数を抱えていたと云う。この一極集中化がやがて分校と云う形で枝分かれし、目下は逆にドーナツ化現象で減る一方だと、現場の悩みは尽きない。このまゝでは廃校に……の危機感もあり、それだけは何んとか食い止めたいと、知恵を絞っているのだとか。
壷屋は焼き物の町である。多くの陶工達がこの地に窯を築き、壷屋焼は沖縄の焼き物の代名詞とも言えるが、都市化が進むに連れ、煙の問題その他新窯の建設が難しくなり、現在はショールームのみで、中部の読谷村に多くの窯元が移っている。
朗読会終演後、お礼のことばと共に高学年の男子児童が、
「僕のお父さんが作った焼き物です」
と言って小さな包みを渡してくれた。その瞳に何んとも誇らし気な光があった。
首里のカフェレストラン「リリーローズ」には、お馴染みの顔が揃って待っていてくれた。浦添市在住の読み聞かせグループとの交流から、長いつきあいになり訪沖の度に食事会などを開いてくれる。今回は特に10月に予定されている「お吟さま」に向けて、実行委員会立ち上げと云う意味もあったが、それはそれ、美味しいランチに舌鼓を打ちながら、楽しい談笑は続いたのである。食後は、私の新作山本周五郎作「初蕾」に耳を傾けて下さり、秋の公演の成功を念じながら散会となった。
浦添市牧港の丘の上に建つ瀟洒な建物、そこが介護付有料老人ホーム「ポート・ヒロツク」、3回目を迎えた今年は1月31日にお邪魔した。高級ホテルにも引けを取らないゆったりとした空間、万全を期したセキュリティ、スタッフの心くばり、憧れの終の栖4階ホールには、この日も沢山の人が待っていて下さった。
那覇市立鏡原中学校は、一学年の国語教育の一環として昨年に続いてお声が掛かった。三浦哲郎作「とんかつ」には、同年代の少年の成長していく様に、思いを馳せながら耳を傾けてくれた。
インフルエンザの蔓延で、学級閉鎖が相つぎ、残念ながら全校生徒のお顔を見る事が出来なかったが、南風小学校には初めて伺う事が出来た。
本島南部糸満地方は、先の戦争の激戦地であり、「ひめゆりの塔」の悲劇はあまりにも有名である。その糸満の市役所生涯学習課から、ご依頼の連絡を受けたのは2ヶ月程前だった。一般市民を対象とする、講演会として企画したいと云う。
滞在期間中、少しはプライベートの時間も持ちたいと、スケジュールを考えながら組んでいたのだが、気が付いて見れば全て埋まってしまっていた、と云う顛末を迎えていたことになる。しかし、考えてみれば有難いことである。ひとつの企画が持ち上がる陰には、多くの人達の推薦があっての事で、この小さな声が私に機会を与えて下さっているのだ。その声に応えねばならない。そう思えば、与えられた2時間を全力で務め、参加者の笑顔に送られて会場を後にするのである。
連日、最低気温を更新している東京を逃れての12日間ではあったが、今年の沖縄は例年よりも寒く、滞在中太陽が顔を出したのはたった2日、それでも名護では桜まつりが開催され、年中行事となっている私の沖縄の旅も幕となり、立春を迎えた羽田空港に降り立ったのである。
「年中行事」心と表現<第26回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ
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