「一大事!」心と表現<第20回>熊澤南水|月刊浅草ウェブ

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6月27日に一旦帰京し、すぐ近くの病院へ、
「どうもギックリ腰のようで」
「では、湿布と痛み止めの薬を・・・」
ところが1週間様子を見ても、一向に快方に向わない。
「先生、痛みが取れないのですが・・・」
「そうか、じゃあ少し強い薬を出しておこう」
その薬と湿布薬を持って、7月6日羽田を飛び立ったのである。辛いのは飛行機の中での時間、約2時間半座りっぱなしのこれが一番辛い。いつもならすぐ眠れるのに、微妙な痛みで眠ることも出来ない。
それでも翌日の学校公演を無事務め、午後から後輩の稽古を終え、この日東京から応援に馳け付けてくれた友人を歓迎しての夕食会と、一日中フル回転の動きをしてホテルへ。

今回の訪沖最大の目的は、9日に予定されている那覇市ぶんかテンブス館での、「朗読・夢舞台」其の十二の公演である。10年連続私が出演して来たこの舞台を、2年前から企画、演出に退き、後輩を表舞台に載せようとの目論見で、今年は2回目を迎えている。今回登場する2人は共にアナウンサー出身、片や82歳の御大、片やつい数年前までは、夕方のニュースの顔でもあった若手のホープ、結婚後フリーとして活躍している人気アナでもある。祖母と孫程の年齢差があるこの2人の作品は、その内容共々きっと評判になるだろう。私の中に秘かな確信はあった。今回は特に開演1ヶ月前にも関わらず、チケットが完売すると云う偉業も成し遂げてくれていた。
テンブス館のスタッフも、ほとんど変わらず、毎年この公演を支えてくれている。会を重ねる度に段取りも良くなり、正にあうんの呼吸で事が運んでいくのは、何よりも有難い。

前日夕方からの仕込み、そしてリハーサルを終え、いよいよ当日、午前中からヘアメークを施し衣裳を付けて女優に変身、日常から非日常の世界へと己れの心を導く。ロビーに花が溢れている。やはり人気者の2人、同僚や職場の関係者は興味津々であろう。
果して、公演は大成功であった。それぞれの持ち味を生かして語った作品は、間違いなく観客の心に届き、満員御礼の場内に大きな拍手が響いたのである。
裏方に徹し、作品と語り手の成長を見守るのも、又、別の面白味があり、この時来年の構想が既に浮かんでいた。
ホッとして気が付くと、手が腰に当っている。手当て・・・と云うことばがあるが、これは人間の体が無意識にそうさせるらしい。痛みが消えていた訳ではない。何かに夢中になっている間だけ、忘れていただけなのだ。

約1週間ぶりに自宅に戻り、先ずはお世話になった方々へのお礼状を書き、そして留守中に溜まっていた郵便物の整理、衣裳の片付けで数日を過ごしたが、何かが違う・・・のである。すぐに疲れてしまい、やる気が失せる。通常の私には考えられない事である。
秋の公演の準備もしなければならないのだが、なかなかその気になれない。今回は再演と云う事でもあり、DMも広範囲に出すのは止めて、年賀状を下さった方々に絞るつもりで居る。
しかし、100名を手書きするのに、2時間以上もかかり、それ以上は椅子に腰掛けているのが辛い。作業は遅々として進まない。少なくとも2000名は書かなければならないのに・・・次第に気持が焦る。
この気持の悪い痛みは何んだろう。あの日から、既に1ヶ月以上が経過している。

「先生、レントゲンを撮ってみて下さい」
湿布を貼り続け、薬を飲んでも痛みが消えないのは、他に何か原因があるのかも知れない。
思い切って再度医院に出向き、そう訴えた。すぐにレントゲン室に入れられほんの数分、待つ間もなく届いた画像とにらめっこしていた医師の口から、「胸椎圧迫骨折」のことばが飛び出したのである。
日頃掛り付けのこの医院は、内科、胃腸科が専門の為、整形外科のある病院への紹介状を書いて貰い直ちに受診、結果は間違いなく約1ヶ月前に骨折している事が告げられた。
この時点で既に40日が経過していることになる。本来ならこの期間こそが、一番大事な時だったのだ。ギックリ腰と、勝手な判断をしてしまった。己れの軽率さを悔いた。
コルセットの着装を指導され、採寸は終えたが、お盆の休業が入ると云う事で、完成は18日との事、いやはや何んとも間の悪いことしきりである。
「安静が一番です」
医師のことばが、遠くに聞えた気がする。

振り返ってみれば、全てゾッとする事ばかりして来た。
あの翌日、武道館の舞台を2ステージ、誰にも気付かれずに無事務めた。長い待ち時間を痛みに耐えて、とりあえず穴を開けずに済んだ事で、責任だけは果せたと思った。今思えば、正に〝女の一念岩をも通す〟、と云う事だろうか。
40日近くもの間、あれやこれや、やってはいけない事ばかりを繰り返して来た。
自分の身体に、何んと詫びたらいいのだろう。70年以上もの間、たいした故障もなく、健康を保って来られたのに、本当に申し訳なく、心から謝りたいと思う。
これからは、注意に注意を重ね、どんな小さなメッセージも見逃さないよう、気を付けて行こう。健康な肉体があってこそ、いい表現が出来るのだ。
改めて思いながら、暑い夏を反省の日々で過ごしている。

※記事の無断使用を固く禁じます。

熊澤南水 プロフィール
朗読家。
1941年東京生まれ。小学6年生のとき青森県西津軽から東京に移り、そこで津軽なまりを笑われたのが言葉へのこだわりの第一歩だった。
40歳のころ、偶然手にした一本のテープ、朗読家 幸田弘子さんが語る樋口一葉の十三夜が心に新たな、風を吹き込み、言葉への想いをつのらせた。以来、俳優 三上左京氏指導のもと、“南水ひとり語り”を全国各地で繰り広げている。
浅草の洋食ヨシカミの元女将が語りの世界で彩る。
◉女優 吉永小百合さんとともに下町人間庶民文化賞を受賞
◉文化庁芸術祭大衆芸術部門優秀賞を受賞

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