岡本文弥(新内節太夫)の名随筆「気まま黄表紙」<第9回>|月刊浅草ウェブ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

画家、手芸家、棋士、舞踊家、書家など16人の女流を訪問してその生活を観察し、主張を聴き、写真を写し、自分の感想を添えてまとめた16篇のどれもが生活の手引きとなり、励ましとなる。女の世界を覗くようでそれがかえって男の参考にもなる。どう生きようかと迷っている人、何かの意味で絶望している人、別れたいと思い悩みながら踏ん切り付かぬご夫婦の両方に決断のヒントを与えることも有り得るでしょう。川柳作家の時実(ときざね)新子さん篇では「意に染まぬ結婚、修羅場の家庭生活から新子の川柳は生れて来たのだろうが、ある時、一人の人生なんか短いものーの心境をつかみ、そこから新子エロティシズムが結実してきたのだろう、新子の川柳は<愛>がテーマといえるだろう」と説く著者が示す代表作ー

【十人の/男を吞んで/九人吐く】新子

世間の顔いろ見たり、周囲を気にしない大胆さがどうも愉快です。

○路地、大ろじ

大ろじという寄席のあることを私は覚えています。

劇作家・榎本滋民氏の近著『長屋歳時記』(たくみ書房)は清元師匠延和歌とキセル職人藤三郎を中心に長屋暮しのあけくれを書いた肩のこらない小説ですが、その中に実に丹念に分り易くその時代の下町のいろいろを説明してくれています。例えば街並みならば大通りあり、裏通りあり、横道、しんみち、小路、ぬけうら、更に路地というのは道幅三尺から一間、一間以上は大路地と呼ぶとある。さては寄席の大ろじはそんな大路地にあったのかと納得が行きました。「映画テレビの時代劇におけるでたらめは目をおおうばかり、特に江戸の生活に関してはひどい」と痛嘆する著者が当事者の「無知と不勉強」にあいた口がふさがらず小説の形を借りた生活案内、具体例を数多く示して生活実態をこまかく描いたと言われる如く私たちの生活、身近のあれこれ、ああそうか、成程と教えられることがたくさんあって興味が深く、知って置かねばならぬことの数々。

○合掌、花園歌子

虚無主義者辻潤の仲間で浅草住人の黒瀬春吉が主宰するパンタライ社に所属して舞踊活動に努力した花園歌子の出発は、だから浅草ということが出来るでしょう。このへんの消息は小生夢坊氏が詳しいはずです。花園歌子改め環伎、引退して病臥、少女時代から辛苦を共にした春美が襲名、一流を守って憂いなきを見て7月4日歌子永眠、76歳。昭和初期発表した独自の「道成寺日高川へ飛び込んだ清姫が嫉妬に燃えつつ半裸の蛇体での躍動が奇抜で大胆で舞踊界を震撼させ大きな感激を呼んだ。新内では文弥作品『人生劇場』が話題に残る。後年正岡容と同棲してからは夫唱婦随で歌子の特色は影をひそめて市川に無事平穏の稽古所生活。然し正岡が若い女性に惹かれて裏切るとみるや早々に自分で貸間を探しトラックを呼んで正岡を追放してしまった。計画性あり、思慮遠謀、国府台の原っぱに広い土地を求め舞台付きの大きな家を建てたことも今日の賑わいを見越しての先見の明というべきで、矢張り異色の才女、惜しみても余りあり、合掌。

【炎天下/半裸の蛇体/昇天す】ぶんや

○秋の句

【初嵐して/人の機嫌は/とれませぬ】三橋鷹女

【白露や/死んでゆく日も/帯締めて】〃

【花街の/昼湯が開いて/生姜市】菖蒲あや

【更けし夜の/螻蛄(けら)に鳴かれ/金欲しや】〃

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る