<其ノ一~プロローグ・前編~>
“昨日はもうない。明日はまだない。せめて今日一日を、頑張って生きましょうや。”
これは、私が大切にしている言葉。
終わったことを後悔したり、まだ起こりもしない不安に苛まれても、何も始まりはしない。自分の力で変えられるのは、今。今、この瞬間だけだ。大切な一瞬一瞬を全力で生き、積み重ねた結果のみが、その人の生き様ということになる。過去は、例えそれがどんなものであったとしても、悔むものではなく、未来のために、踏まえるものなのだ。
私の俳優人生も、はや80年近く。我ながら、その歳月はまさに〈波乱万丈〉の四字そのものだったと思う。辛いこと、苦しいこと、楽しいこと、幸せなこと、それらを彩る沢山の素晴らしい出逢い…。
ここいらでひとつ、自身の歩みを紐解いてみようかと思う。生涯芸道、まだまだこれから。この先も日々積み重ねてゆく一瞬、一瞬のために。輝く明日のために…!
私は昭和10年、福岡県粕屋郡宇美町で生まれた。父は浪曲師で、母は「女沢正」と名を馳せた大衆演劇の座長。私を産み落としたのも、巡業先の楽屋だったという。
小学2年生までは旅から旅への生活だったから、学校も何度変わったことか。ゆく先々で「役者の子」と馬鹿にされ、ずいぶんいじめられもした。
転機が訪れたのは、3年生の春。父が大分県日田郡大鶴村に〈大鶴劇場〉という劇場を建てたため、ここで初めて、一所に腰を据える生活を経験することになったのだ。同い年の子たちと一緒に通学し、のびのびと遊べる”普通の子”としての生活は、やはり嬉しいものだった。
4歳で初舞台を踏み、母の仕事を手伝ってはいたものの、それはごく当たり前の流れという感覚で、自ら役者になりたいと思ったわけではない。
子供の頃の夢は、野球選手。身体を動かすことが大好きなスポーツ少年だったから、小学校高学年ともなれば、野球、陸上、卓球…といくつも部活を掛け持ちして、一生懸命頑張っていた。