浅草沢正伝【町内の座長篇】<第7回>懐かしの浅草芸能歩き|月刊浅草ウェブ

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「赤城の山も今夜をかぎり。生まれ故郷の國定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手めえ達とも別れ別れになる首途(かどで)だ」(演劇出版社「行友季風戯曲集」より)
愛刀の小松五郎義兼を月にかざし、万年溜の雪水に清めて「俺にゃあ、生涯手めえという強い味方があったのだ」と思いを込めて語りかける。高山の定八が懐紙を差し出し、両手でパン!と小気味よい音を立て、はさんだ刀を拭う……。その〝忠治〟は居酒屋の主人で、店の名は「沢正」だという。
そこで当時、一緒に芝居を観ていた友人と店を探しに出かけた。手がかりは店名と、おそらく公会堂付近ということだけ。まだ土地勘もなくてなかなか見つからず、日が暮れたので「すしや通り」で食事をして新仲見世から銀座線浅草駅方面へ向かっていた時、友人が私を呼ぶ声がした。
「浅草公園劇場跡沢正」の看板、新国劇を模した柳に蛙のマーク。公園劇場といえば東京での旗揚げが不調に終わり、関西で人気を得た劇団が凱旋して拠点とし、澤田正二郎座長のもとを訪ねた島田正吾の入座が決まった場所だ。

玄関の引き戸は曇りガラスで店内が見えない。思い切って中へ入った。カウンター席と、テーブルが二つ。壁に澤田、辰巳、島田の舞台写真。常連客の名を入れたものと並んで「長岡」の提灯(『国定忠治』の舞台で使用される)もある。奥には、刀掛けも見えた。「近くで写真を見てもいいですか?」「はい、どうぞ」これがご主人・平野泰之さんと交わした最初の会話だったと思う。

以来二十年余年、浅草公園通り(平成九年のカラー塗装改修に伴いグリーンロードと改名)の店へ通うことになる。テレビ番組で忠治を演じていたのはやはり「役者になりたかった」平野さんで、鬘から衣裳、刀、草鞋に至るまですべて自前で用意があるという。文武両道に秀でた方で柔道、居合道、伝法院で習ったという書道などすべて加えれば十段を超え、熱心な歴史研究家でもあった。毎年、三社祭後の「砂払い」として町会の温泉旅行へ参加すると必ず宴会の余興に出演。新国劇の演目のほか新撰組に座頭市……。ある年、歌舞伎の〝切られ与三郎〟を出した時に相棒の蝙蝠安を買って出た方が早朝の出発時、すでに頬へマジックでコウモリを描いていたといういい話も聞いた。「あたしは町内の座長です。芸名が沢野正三郎、略して沢正。ハハハ!」快活な笑い声が、今も耳に残っている。(「浅草沢正伝」は今後も出没予定です)

(写真/文:袴田京二)

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