狭い町なみの廂間(ひあわい)から十二階凌雲閣がうす墨いろに見えていたが、初夏の日長の暮色はまだ明るく、それらしい町なみへはいって行ったが、ひっそりとしていて声をかけてくる者もない。時間が早いからであろうと路次をぬけで観音 […]
続きを読む土師清二(はじせいじ)|浅草とエロティシズム
十円と童貞<前編>土師清二(はじせいじ)浅草とエロティシズム|月刊浅草ウェブ
鐘の音で目をさました。まだもうろうとしている頭の中のとこかで、ここはどこだろう、わたしが八年間いまもやっかいになっているお寺に鐘楼はない、本堂の軒さきに火の見やぐらの半鐘めく鐘がつってあって、撞木槌がセロテープでぶらさげ […]
続きを読む吉原あれこれ<第4回>野一色幹夫(のいしきみきお)|月刊浅草ウェブ
《センベツとゲンメツ》 厚さ五センチ、長さ三十センチほどもある、いまでいうとワラジ・カツだが、そういうバケモノみたいなトンカツを売り物のレストランで、そのオバケ・カツを二人前平らげ、ミルクコーヒーを三杯飲んだところへ、「 […]
続きを読む吉原あれこれ<第3回>野一色幹夫(のいしきみきお)|月刊浅草ウェブ
《われ、十六才の初陣は……。》 —いまの吉原は、まったく『つわものどもの夢のあと』といった感が深い。赤線地帯ならぬトルコ地帯みたいに、トルコ風呂のネオンが明るく、その影に添うごとく旅館に転向したかつての女郎屋が、対象的に […]
続きを読む吉原あれこれ<第2回>野一色幹夫(のいしきみきお)|月刊浅草ウェブ
―さて、戦後になると、女性解放で〝籠(かご)の鳥〟の悲哀もなく、明るい赤線吉原となり、〝自由女郎〟—いや、特飲店の接客婦がキャア、キャア、客を呼ぶようになった。哀愁がひとつの情緒となったそのかみの、吉原のムードは一変した […]
続きを読む吉原あれこれ<第1回>野一色幹夫(のいしきみきお)|月刊浅草ウェブ
「―オジさんたちァ、ウマくやったよなァ…。だって、そうじゃないか。浅草で生まれて育ったンだから、吉原は近いし…サ、安く、手軽に遊べたじゃないか。シャーワセだよ」 若いひとたちによくそういわれるが、吉原をはじめとするもろも […]
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