「あっ!」と言う間に、この連載も丸3年が経った。
この誌面は、先日亡くなった本誌の前編集長・織田邦夫さんが「子八咫さんが書きたいことを自由に書いていいんだよ」と誘ってくれて始まった。そのお言葉通り、気持ちの向くまま、書きたいことを自由に書いてきた。銀師、相撲部屋女将、芸人、まちづくりプロデューサー、フラメンコダンサー、刀鍛冶、サントゥール奏者、生前整理、キックボクシングの元チャンピョン…まだまだいるが、共通しているのは「私の知らない世界」であることだった。
「取材して記事にする」という行為は、相手のことをよく知り、時に客観的に、時に相手の立場や想いを推し量りながら、包括的にその人のことを考える作業である。それは友達探しに他ならない。この連載は、まさしく私が人生の宝物を探す旅路である。
小さい頃の私は、ほとんど喋らない無口な子だった。周囲を観察(=見たり聞いたり)することが大好きだった。公園に遊びに行くと、30分以上じっくり他の子が遊んでいる姿を観察してから、ようやく自分も動き出すというのんびり屋。
そんな元々の性格に加えて両親からは「お前は大器晩成だから大丈夫!」と言われて育ったので、ますますマイペース道へ一直線。一人っ子だから、他者と比較することもないし、一人で過ごす時間も多くあったから、自分なりのルールを作って勝手に遊ぶ習慣がある。
今でも、エレベーターに乗れば「1階から15階まで息を止めてみる」とか、「歩くスピードを一定に保ちながら、大量の銀杏を踏まずに歩く」とか、日々チャレンジをしながら過ごしている。思い返せば人生を通して「退屈」を経験したことがない。
一人でも退屈はしないが、そこに他者との交わりが加わるとさらに予測不能になって面白くなる。私が大好きな作家・吉川英治さんの「我以外、皆我が師である」という言葉と出会ったのは私が中学生の時だっただろうか。
当時、世界の全てを「師」と認識してみたら、全てがキラキラ輝いて見えたことを記憶している。視野に入る全てのものが、私にとっては師であり、テキストなのである。
さて改めて、私の本業は活弁士である。活弁というのは、白黒のサイレント映画のスクリーンの横で、映画を物語る日本芸能である。最近お客様から「活弁は、落語や講談の話芸と何が違いますか」と問われた。
答えは、明確に「映像がある/なし」である。では、どうして映像の有無が話芸としての「違い」になるのか。
一つは、映像が一定のスピードで進行していくからである。活弁は自分の喋りたいペースや抑揚では喋れない。映画の進行に身を委ねなくてはならない。
二つ目は、落語や講談の場合、観客は話者の語り口調や表情を頼りにして登場人物をイメージするが、活弁の場合はスクリーン上に登場人物の姿が現れている。観客の目に映る登場人物の姿からかけ離れた声を出せば、映画に集中しづらくなる。その意味で、活弁はスクリーンという装置があるからこそ、完全なマイペースではいられないのである。しかも、映画というのはシチュエーションが多岐に亘る。能楽師が登場すれば能楽師の声を演じなくてはならないし、数学者が登場すれば数学者の声を語り、精霊や宇宙人が登場すればその声を演じなくてはならない。森羅万象、すべてが資料であり、先生なのである。
来年、私は活弁士としてデビューして30周年を迎える。月日というものは本当にあっという間である。そういえば、私の幼稚園時代の口癖は「幸せ求めて30年…」だったそうだ。デビューして30年、そろそろ「大器晩成」の欠片でも見出したいものである。
〈こやたの活弁公演のご案内〉
◯毎月第二・第四土曜日の午後6時から、浅草ビューホテルアネックス六区にて定期公演を開催。
◯2025年3月22日(土)15時〜、浅草公会堂で主催公演「活弁と浅草オペラの浅草パラダイス」開催。チケットは公式LINE、または浅草公会堂でも販売しています。
みなさまのご来場を心よりお待ちしております。
◯こやたの公式ラインはこちら!
https://liff.line.me/1645278921-kWRPP32q/?accountId=896ndsxb