【活弁士・麻生八咫の人生①「田舎の子ども時代」編】こやたの見たり聞いたり<第23回>月刊浅草ウェブ

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浅草を大好きな蝶ネクタイおじさんがいる。職業は活弁士。何を隠そう、私の父である。高校時代に読んだ名著『父が子に語る世界史』は、英国支配に抵抗して何度も投獄されたインドのネルー首相が獄中から一人娘のインディラに宛てた手紙であるが、父から聞いた思い出話をたまにここに書き留めておくのもいいだろうと思い、ここでご紹介したいと思う。

麻生八咫(あそう・やた)は、町一番の薬局の長男として大分県豊後大野市三重町に生まれた。「八咫」というのは活弁士としての芸名で、本名は「壽夫(としお)」。正月の三が日に生まれたから、「壽」に「夫」と書いて「壽夫」と名付けられたのだ。誕生日には町中の人たちが「おめでとうございます」と言っていたから、「僕っておめでたいんだ!」と思っていた。

豊後大野市は、大分県の県南に位置し、周囲を山々で囲まれた風光明媚な土地である。今でこそだいぶ過疎化が進んでいるが、父が子どもの頃は子どもたちが溢れていた。小学校低学年の頃はまだ自動車が珍しく、「都会の匂いがする!」と言ってみんなで車を追いかけて排気ガスの匂いを嗅ぎに行ったこともある。家庭用テレビも珍しい時代だったから、テレビを買った家があれば大人も子どもも大集合。他人の家に「テレビ見せてください」と言って上がり込むなんて今じゃ到底考えられないことだが、押しかけられたお宅の人も人で、「どうぞ、いらっしゃい」なんて言いながら麦茶やスイカを振舞ってくれたりしたそうだ。父も御多分に洩れず、テレビを見せてもらえるという噂の家に行ってテレビをみせてもらっていた。子どもたちには「チロリン村とくるみの木」「赤胴鈴之助」「ポパイ」などが大人気。夕方からは相撲中継や野球中継の時間。おじさんたちが「子どもは帰れ!ここからは大人の時間だぞ!」なんて言って子どもたちを追い出そうとするが、そう言うおじさんもその家の住人ではない。まさに昭和のサザエさんに出てくるような光景だった。

テレビだけでなく、映画も大好きだった。父の祖父(私にとっては曽祖父)が町営の映画館「三栄館」の理事をやっていたから、映画館のパス券で映画が見放題だった。中村錦之助主演『一心太助』や『若き日の織田信長』、「東映まんがまつり」、東映のチャンバラ時代劇の数々…。今思えば大変贅沢な環境であり、のちに活弁士「麻生八咫」となる基盤の一つになったのかもしれない。

小さい頃の父は、勉強もスポーツも得意ではなかった。麻生薬局の長男として生まれたから、将来は実家を継ぐんだと漠然と思っていたが、薬剤師になるためにはたくさん勉強をしなければならないということをまだ知らなかった。前途多難な人生の幕開けである。

続きはまたの機会に。

麻生八咫インスタグラムhttps://www.instagram.com/yata_aso/

【記事の投稿者】
麻生子八咫(あそう こやた)

プロフィール 1985年生まれ。幼少期より父・麻生八咫の活弁の舞 台を見て育つ。 10歳の時に浅草木馬亭にて活弁士としてプロデ ビュー。2003年には第48回文部科学大臣杯全国青 年弁論大会にて最優秀賞である文部科学大臣杯を受 賞。2015年日本弁論連盟理事に就任。2016年麻生 八咫・子八咫の記念切手発売。2020年3月東京大学 大学院総合文化研究科博士課程を満期退学。 著作には、『映画ライブそれが人生』(高木書房、 2009)麻生八咫・子八咫共著がある。劇中活弁、方言活弁、舞台の演出・脚本、司会等、さまざまな舞台 活動を行う。英語公演にも力を入れており、海外で はアメリカ、カナダ、韓国などでの公演などがある。
月刊浅草副編集長

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