「物語を語る・聴くということは、人類の本源的欲求です。そして物語というのは世界中に無限にあるので、いくら語っても追いつかない。だから今は、とにかく講談をもっともっと語りたいんです。」
そう語るのは、ただいま急成長中の講談師、神田伊織(かんだ・いおり)だ。神田香織師匠の下で6年間の前座修行を勤め上げ、今年晴れて二ツ目に昇進した。こやたから見た神田伊織の印象は、飾り気がなく、とにかく実直。現代では珍しいくらい真面目で講談一筋な青年だ。真っ直ぐすぎて、やや不器用なところがあるのかなとも思ったが、芸の道は長く険しいから、そのくらいでちょうどよいのかもしれない。
ところで皆さんは、講談という芸能をご存知だろうか。かつては「講釈」とも呼ばれたが、書物の物語をわかりやすく語って聞かせる日本の伝統話芸である。釈台とよばれる小さな机を前に置き、ハリセンのようなものでペンペン机を叩きながら語る、あの語り芸を想像してもらえればいい。江戸時代には講談のネタを歌舞伎で上演したり、明治・大正の時代には講談を原作にした無声映画も数多く作られたりと、芸能の各方面へ与えてきた影響は大きい。近年では、漫画の内容を講談師が語ったり、アニメのナレーションなどで講談調の語りが採用されたりと、講談の世界は広がりを見せている。今年9月には、講談師の神田松鯉と神田伯山が歌舞伎座で講談会を開いて話題となった。寄席のイメージが強い講談は、今後もっと我々の身近な話芸となっていくのかもしれない。
神田伊織の講談は、しっかりと丁寧に聴かせるところに魅力がある。基礎をしっかりと積み上げてきたんだなと感じさせる、地に足のついた実力派だ。彼の特徴は、古典と創作を両方大切にしていることだ。二ツ目昇進にあたって作られた手ぬぐいには、古典を象徴する巻物の絵と、創作を表す原稿用紙の絵が描かれている。冒頭の発言でも伝わってくるが、彼には独自の哲学がある。「なぜ落語ではなく、講談なのか?」と問うてみると、「落語は笑いに縛られているが、講談は自由なんです」と答える。発想のユニークさは、東大の仏文科卒という経歴を納得させる。大学院ではフランスの小説家エミール・ゾラの研究をしていた。何かをやってくれそうな、講談界に新風を巻き起こしてくれそうな、そんな予感をさせる。
神田伊織の講談人生は始まったばかり。これから真打へ向かって懸命に登っていく期待の新星にご注目頂きたい。
〈ご挨拶〉講談師の神田伊織です。私は6年前に弟子入りしまして、今年の9月にようやく二ツ目に昇進しました。後輩がなかなか入らず、長い前座生活を送ることになったのですが、最近になって入門希望の若者が講談協会に殺到しています。講談界にとってはうれしいことです。入門ほやほやの後輩たちは、ユーチューブではじめて講談を知ったというような、まさに新世代。彼ら彼女らが活躍しだす頃には、芸界に新たな風が吹く予感がします。私もそんな新世代講談師の先駆けとなって活躍したいと喜び勇んでおります。
講談は物語の世界に没入する喜びを与えてくれる話芸です。その点でドラマや小説に近いですが、演芸場という非日常空間に身を置いて、演者や他のお客さんと一緒に物語を共有するというライブならではの楽しみがあります。言葉だけで表現するという実に素朴な娯楽ですが、それゆえにこそ、聞き手の想像力が羽ばたきだし、軽々と時空を超えて壮大な虚構をもありありと感じとることができます。映像優位の現代に、あえてこの飾りのない話芸に触れて、日本語表現の面白さ、見えないものを見る喜びを体感していただきたいと願っています。
浅草では木馬亭講談会が隔月で開催されています。古くて新しく、素朴で奥深い講談は、浅草の町にもまさにお似合い。ぜひお運びいただければ幸いです。あわせて、私、新二ツ目神田伊織を、なにとぞご贔屓たまわりますよう、ひらに御願いたてまつります。皆さまとお会いできる日を心待ちにしています。
神田伊織の「二ツ目昇進祝いの会」は、202211月12日(土)14時15分より日本橋社会教育会館ホールにて開催。入場料:3,000円。チケットのお申し込みは、☎ 03-6315-0422・✉ office10.jyu@gmail.com
ユーチューブも併せてお楽しみ下さい!
(月刊浅草・令和4年11月号掲載)
【筆者紹介】
活弁士・麻生子八咫(あそうこやた):父麻生八咫に弟子入りし、10歳の時に浅草木馬亭で活弁士としてデビュー。
活弁は、サイレント映画に語りをつけるライブパフォーマンスです。どうぞよろしくお願いします。
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