『月刊浅草』50周年・600号記念座談会<前編>|月刊浅草ウェブ

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月刊浅草
~座談会参加者~【執筆者】(写真下段左より)田中けんじ稲川實熊澤南水松井天遊(上段左より)袴田京二原えつお【発行人】(上段右)小島博心【編集人】(上段中央右)織田邦夫、(下段右)高橋まい子

「月刊浅草」創刊600号を記念し、一つの区切りとして、当誌執筆者の皆様にご列席いただきまして、座談会を企画致しました。浅草に関する様々の想い、企画等を私から提案します。出席者皆様の腹蔵ないご意見を期待します。
最初に、当誌発行人であります㈱東京宣商社長・小島博心よりご挨拶から座談会をスタートします。また、記録係として編集人の高橋まい子が執筆責任者となります。

本日はご多忙中の折から、当誌600号記念座談会にご列席頂きまして、誠にありがとうございます。
発行人ですが、創刊は父・小島康で、私は二代目となります。創刊においてはノーベル賞作家・川端康成先生のご協力もあって、執筆者の有名作家の寄稿も多かったことに驚いています。現在も、先生の書かれた題字は当誌の誇りとなっています。
浅草商店街の「浅草うまいもの会」「浅草のれん会」や月刊浅草加盟店、全国の読者の方々のご協力があってこその600号と思います。今後とも、どうぞ浅草誌を見守って下さい。

では、早速始めたいと思います。まず最初の議題は、浅草地区の老舗の現状やテナントの多い新興店の実態と地域との関わりについて。
新興店は、浅草の昼間や休日の人出だけを見て安易に出店し、いざ赤字となれば、さっさと退散してしまう。今回のコロナ渦中においてもそうですが、苦しい時こそ、自店のみならず地元のためにも持ちこたえねばと奮闘する老舗とは、当然と言えば当然ですが、“浅草愛“に歴然としたズレがある。その辺りの溝を埋めて新店に根付いて貰うためには、街全体で協力してゆく必要があると思うのですが、皆さんのご意見はどうでしょう?まずは年の功で(笑)、稲川さん。

500号記念の時には、まさかこんな地球規模の禍に見舞われているとは予想だにしなかった現状ですが、そんな中で、やはり老舗のウイルスと闘う姿勢は並大抵じゃない。暖簾を守る覚悟が充分伝わってくるから、安心して飲食できる信頼感があるんです。

そうですね。今おっしゃったことは、言ってみれば、コロナ以前から浅草の老舗が脈々と続けてきたこと。もちろん新店だって努力はしているはず。にもかかわらず、世情によって潰れるところと残るところがある…その違いは、主に数字だけを追ってるか否かだと思うのね。それは彼ら自身が悪いわけじゃなく、利益だけに価値を置くチェーン店的な発想、システムの影響が大きい。本当に自分たちで家賃を出してでも浅草で商売をしたいという信念のある方たちなら、また話が違ってくると思うんです。

半世紀近くもこの街を見てきて、今ほどテナントがクルクル変わる時代もないけど、貸りた店を老舗になるほど我慢してやり通した店は残念ながら、一店もない。思い入れの違いですね。地元の人は、愛があるから(笑)。どうですか、松井さん?

うん、まことにそう思います、って言っておこうか(笑)。

じゃ、田中さんは?

コロナの話で落ち込むばかりの世の中になってきて、百年以上も続く老舗が閉店したりと、確かにショックも受けてはいるんですが…。
私は浅草寺界隈でリヤカーを引いてシャッターに絵を描いているので、わりと商店の動向は感じているわけだよね。半年ばかりコロナ禍で仕事が無くなりデスクワークに徹していましたけど、秋口に入ったら、商店街の皆さんもこのままじゃいかんとやる気を見せる感じがポツポツと出てきて、私自身、おまいりまちで2  軒と、伝法院通りで1軒、描かせてもらいました。皆、負けてないんですよ。とにかく、新陳代謝はものすごくて、シャッター閉めっぱなしということにはならない。その底力が、浅草の素晴らしいところだと思いますね!
あと、私は常々不思議に感じているんだけど、歴史的に見ると、ひょうたん池のあと六区の交番から北側では、全く成功例がないですね、池の怨念とまでは言わないけれど(笑)。「まるごと日本」が閉店しましたが、そのあとに一体どんなアイディアが出てくるのか、大いに期待しつつ注視しているところです。

では、その辺りにも通じる次の議題に。浅草は、かつて日本一を誇る映画街だったのに、現在、映画館はゼロ。六区を再生させたいのは山々だけど、現実問題として、今のところ映画館の新設は難しいわけです。ならば空いている他の場所で…例えば、隅田公園に仮設の小屋を立ててアニメの上映会とか、屋形船を利用したイベントなど、若い世代の取り込みも視野に入れた企画を考えてはと思うのですが…どうですか、原さん?何かいいアイディアは?

田中さんの言う通り、六区がダメになったのは、ひょうたん池を潰したからだという説があります。水というのは、憩いのシンボルとして大切だったんですね、きっと。出来ればもう一度、六区にぜひ水場を再現して欲しいです。それまでは、そうだな…とりあえずは空いているところに小さくていいから、常盤座のようなものを作れたらいいですね。

芸能専門の視点から、演劇ライターの袴田さん、何かご意見は?

先ほどおまいりまちの名前が出ましたけど、以前、浅草こども歌舞伎の取材をしたことがあるんです。折しも、六区にドン・キホーテが出店した頃で。出店に際し町会は、①ベンチ一つでもいいから皆が憩える場所を作って欲しい②おまいりまちの行事や飾り付けに協力して欲しい、と要求し、ドンキは快諾してくれたそうです。正直、必ずしも成果は上がってないけれど(笑)、歩み寄りの姿勢自体は尊いと思うんですね。
そういう風に、新店が出店する際には皆さんの思う浅草らしさを保つ努力をしてもらうよう話し合って進めてゆけば、急激な変化は避けられるのではないでしょうか。

そういえば、六区再開発に際する街づくりの条件が守られていないのでは?確か、大きな建物を新設する場合は、必ず劇場なり映画館なりを入れるという約束があったはずなのに…。

結局、松竹が採算を考えて撤退したというのが、致命傷になった。

逆に言えば、それまで浅草は松竹に頼り切ってたってことでしょう?一つの大企業だけに身を委ねていたのが、良くなかった。これからは一点集中じゃなく、色んな業種に力を分散させていかないと。それは新興店の構図も全く同じであって、浅草に店があるってことがステイタスになるような実績を浅草一丸となって作っていくことが、大事なんじゃないかしら。

つい最近、観音通りの某店が5億で売れたんです。それだけ出しても“浅草に”出店したい人は沢山いるんですよ。だけど実利が伴わなければ、当然根付かない。だから結局有名なチェーン店等が出店と撤退を繰り返すことになっちゃうんですね。

雷門入っていきなり浅草と関係ない店があったら、お客さん、戸惑っちゃうわよね。

人力車の中にも、京都の会社があったり(笑)。

袴田:この前、後ろを歩いてる若いカップルの話が耳に入って来たんです。「ディープな浅草探そう」って(笑)。ディープな浅草って一体、何なんだろう?どこまでうさん臭くて、どこまで健全なのか。どういう浅草らしさが、人の心を惹きつけるのか。その中には、モダンなものも伝統的なものも、含まれていますよね。

伝統的かつスタンダードなところでいうなら、たとえば都々逸や川柳。
せっかく「月刊浅草」誌上で地元のお店の名前を読み込んだ都々逸が沢山作られているのに、なぜそれを、店は張り出さないの?川柳にしたって、浅草が発祥の地ですよ。なぜもっと積極的にアピールして活かさないんだろう?
正岡子規ゆかりの松山には、然るべき所に立派な俳句箱が設置されているでしょう。浅草でももっとそういうことを考えられるんじゃない?このままじゃ、勿体ないよ。

これだけ文化・芸能が盛んなのに、東京には、〈芸どころ〉がないと思いませんか?これだけの資源が揃っていながら…名古屋のような〈芸どころ〉という言い方が、東京には何となくそぐわない。

そうね、名古屋でフィギュアスケートがあれだけ栄えたのも、芸どころ気質と無縁じゃないかも知れない。そういう土壌で育てられた人の心があるから、ものが何であるにせよ、皆で応援して盛り上げようということになるのね。

なにせ、浅草は芸どころ!これは絶対、無視できないよ。ねぇ!

話は戻りますけど、たとえば浅草こども歌舞伎を芸どころ・浅草の一つの目玉に出来ないでしょうか。

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